「わきが」の看板について母親に聞いたら、とてもそっけない態度をとられた。
そりゃあ、子供はそんなこと気にする必要はないのかもしれないが、文章が途中で切れているのを看板にするのは、どうも納得がいかなかった。
それから何度も「わきが」の看板の前を通過したが、そのたびに「わきが、一体どうしたんだろ?」と、そればっかり考えていた。
その「わきが」が何であるかと知ったのは、中学一年の時だ。
「平凡」「明星」「女学生の友」といった雑誌を読んでいたら、うしろの方の紙の色が違うページに「わきが」についての悩みが載っていたからだ。
「ブラウスに汗じみが出来てとれません」
「みんなが自分のことを避けているように感じます」
辛そうな相談ばかりであった。これで初めて私は看板の「わきが」の意味がわかった。
放課後、校庭の木の陰で学校には持ってきてはいけないそれらの雑誌をよみながら私と友達は「こんなことがあるのか」と学習した。
そして自分たちも辛い目にあわないように、お小遣いでオバQみたいな容器に入った「バン」という汗どめを買い、学校に行く前に、わきの下にグリグリと塗りつけたのであった。