記事詳細

生真面目と更年期障害3

生真面目と更年期障害3

人のことを偉そうに言ってる私も会社に勤めていた若い頃は完璧に何でもやろうと考えていた。

仕事が出来ると自負もあったので、それが出来ると信じていた。そういう考えでいたら、他人の欠点しか目につかなくなってきた。自分への自信がねじ曲がって、何とかして相手を見下す理由を見つけようとしていたのだ。他人には言わないけれども心の中で相手の欠点ばかりをあげつらう。仕事相手には仕事の質を望むのは当然だが、別に服のセンスが今一つでも関係がない。しかし当時の私は、そのセンスの悪さをあげては(あれはどうにか、ならないものか)と相手を批判していた。

本当に鼻持ちならない性格だった。ある時、自分は他人の欠点しか目につかない、心の狭い奴という現実に気がついて大いに反省した。

他人にそう言っている分、自分の首も絞めていることに気がついたのである。

自分は完璧ではないのを認めよう。でもやりたくないことはやりたくないと言い、疲れた時は「疲れた」と言い、着ている服のコーディネートが今一つだと自覚しているところに何だか変と言われたら「そうなの、今日は変なの」と言えるようになろうとした。

そうしたらとても気が楽になった。やはり全てにほどほどというのが精神衛生上はいい。

真面目なことは、とても大切だが、生真面目はちょっと辛い。他人の目や意見を気にし過ぎて、それに自分が縛られるのも精神的に窮屈だ。

とにかく他人の判断や情報に動かされるのではなく、自分自身の体に聞いてみる。

まあ、のんびりやればいいやという雰囲気で、私はぬるーーい更年期を通過したのである。