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虐待と愛は紙一重1

虐待と愛は紙一重1

最近、動物の虐待が問題になっている。そのきっかけとなったのが、背中に矢が刺さったカモである。しまいには「矢ガモ」などという、珍妙な呼び名までつけられ、悲劇のカモであると同時に強運のカモであるということを、世間にアピールした。

私もニュースを見て矢が刺さっているのを見ては、「いつまで生きられるのかしら」などと心配し、レポーターが「ちょっと弱ってきたような気がします」と言っているのを聞くと、心が痛んだ。

しかしカモは比較的元気で、矢が刺さったまま空を飛んだりしていた。

それを見て私は「本当に矢が刺さっているんだろうか?」と首をかしげた時もあったのだ。

一見、刺さっているように見えるが、実は矢には精巧な仕掛けがあり、本当は刺さっていないのではないか?町の発明家やマジック研究家が、カモを相手に自分が開発した「刺さっているように見えるけれど、実は刺さってない矢」をテストし、世の中の反応をみていたのではないかとも考えた。

しかしカモの胴体から矢の先が出ているのを見て初めて、そうではなく、本当に体を貫通しているのがわかった。それはコロッと死んでしまった方がよかったかもしれないと思うくらい痛々しい姿だった。

その後、やっと捕獲作戦が検討されるようになったとき、テレビのある深夜番組でタレントが「あれは矢が刺さっているから悲惨な感じがするので、いっそのこと、矢をネギそっくりに塗り替えたらどうか、そうすればカモがネギをしょってるみたいで少しは悲惨さがうすれる」というようなことを言った。

私はあれだけカモが可哀想だと思っていたのに「矢をネギそっくりに塗る」という言葉を聞いたとたんに「わっはっは」と大笑いしてしまった。しばらく笑ったあと、私を襲ったのは猛烈な自己嫌悪であった。

「あんなにカモが可哀想だと言っていたのに、矢をネギそっくりに塗り替えるという話を聞いて大笑いしたりして、いったい、どういう奴なんだ。可哀想だと思っているのなら、そんなギャグにも怒ればいいのに、笑うとは何事だ」と自分自身を叱った。しかし、その反面「うまいこというなぁ、さすが関西人は違う」とそのタレントの発言に感心したりしたのである。

つづく