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虐待と愛は紙一重2

虐待と愛は紙一重2

その当時、友達に会うと、まずカモの話になった。みんながみんな「ひどいことするわねぇ。信じられないわ」と真顔で怒った。そしてその後、矢をネギそっくりに塗り替える話をすると、可哀想にといった友達が笑うのだ。ただ1人「どうやって塗るの」と真面目に聞いてくる、ノリの悪いのがいたので、その人は放っておいたが、どの人も私と同じリアクションをとった。そしてそのあと、必ず「笑っちゃ可哀想だけど、何かおかしいのよね」という言葉がおまけにつくのであった。

その後もカモのニュースが流されない日はなかった。これまでは怒りがこみあげていたのにカモの姿を見ていると「矢をネギそっくりに塗り替える」という言葉が浮かんできてならない。可哀想なカモを笑ってはいけないと必死でこらえているのに腹の底からはムクムクと笑いが込み上げてくる。そしてそのあとは、偽善者の自分にうんざりする。やっとカモが捕獲されて無事に矢が抜かれた時は、ひと安心した。カモのために良かったというのももちろんだが、自分もこれで自己嫌悪に苛まれなくてもすむと、ほっとしたのである。

私は今まで、鳥、猫、ハツカネズミ、モルモット、金魚、蛙など、さまざまな動物を飼ってきたが彼らに虐待にあたる行為をしなかったといえば絶対にしなかったとは言い切れない。随分前のことになるが「死んだ猫の101の利用法」という翻訳の絵本が出版されたことがある。文字通り、そこには死んだ猫を花壇の棚、スリッパ、ボクシングのグローブなどに再利用する方法が、線描きのイラストで描いてあった。私は猫が好きだが、その本を見て大笑いしてしまった。

「本当に耳や前足の部分をこのように使えば十分いけるかもしれない」とうなずきながら読んでいた。ところが面白いからと言って兄に見せると」こんな事を考えるなんて、信じられない。ましてや見て笑うとは何だ!」と責められた。おまけに当時飼っていた猫たちにまで「こいつは、こういう冷たい奴なんだよ」と言って言い聞かせていた。

つづく