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虐待と愛は紙一重3

虐待と愛は紙一重3

毎日、私は動物たちに虐待まではいかないが、おせっかいな行為をしていた。

おとなしく猫が寝ているのに「まぁ、気持ちよさそうね」などと言いながら、頭を撫でたりした。ハツカネズミに子供が生まれると、待ちきれなくて、ハツカネズミのお母さんに「ちょっと見せて頂戴ね」と赤ん坊ネズミが寝ている小さな紙箱をのぞいたりした。

猫に紙袋を切って作った、フラダンスの腰みのをはかせたり、インコのピーコちゃんに着脱可能のかつらをかぶせたりした。

これらを作ったのは私を冷たい人間と言った兄である。

腰みの、かつらを製作中の兄が、いつになく喜々としていたのは事実なのである。

今から思えば、本当に動物たちには可哀想なことをした。もちろん栄養のバランスを考えてエサをあげたり、ハツカネズミが風邪をひいた時も必死に看病をして回復させた。なるべく話かけたり体を撫でたりして、それなりにかわいがったつもりだが、それも、もしかしたら、彼らにとっては、いい迷惑だったかもしれない。

腹の中では「ご飯をもらったり、頭を撫でてもらったりしても、あんなことをされちゃ、たまんないよな。プラスマイナス、ゼロだよ。他に行くところがないから我慢しているだけさ」と文句を言っていたかもしれない。それをこちらが「かわいがってやっている」と思い込んでいる場合だってあるのだ。

例えば動物に服を着せるのも、私はああいうことが好きじゃないから、実は動物は嫌がっているんじゃないかと危惧するけれど、服を着せている人に聞くと「服を着せないと風邪をひく」「喜んで着ている」とさまざまな意見が出る。

つづく