記事詳細

峠を超える

峠を超える

I am peaked・・・・先日、借りて来たビデオで初めて聞いた表現なのに、その意味を瞬時に理解してしまった。それがわかった自分が可笑しかった。

 

私は60歳を越した。60歳の誕生日を迎えた時、これまでのどの誕生日よりも感慨があった。特別な出来事があったわけでもないけれど、私にとっては「事件」だった。

私自身に特別な変化が起きたわけでもない。

人間が成熟しないままでも年齢を重ねるのは身を持って体感しているし、歳をとったからといって、それにふさわしい心境になるわけでもない。

20歳の時、30歳以上の人々は一体、どうやって生きているのか目まいがした事がある。20歳の想像を超えて、その倍以上生きて、何かがわかったと言うにはほど遠い。そんな気分のところにI am peaked  という表現は、すとんと、はまった。確実なのは、この先私の前にあるのは下り坂という感覚である。

時間とエネルギーが無駄遣い出来るほど、無限にあると思えた20代、30代には考えられなかったことだ。

「中年」と「老年」が一体、幾つを境に、こう呼ばれるのかは知らないけれど、

「中年」とは中途半端な年齢であることは確か。何かしたいことがあるわけじゃない。何かしてきたと思うには中途半端。未来があると思うには、さかりの時期を過ぎている。

「余命半年」テストと言うものがあることを聞いた。

「余命半年」と宣告された時、あなたは?

「今のままの生活を続けたいか、続けたくないか?」で今現在の生活のクオリティーを判定するらしい。そうなったら「今の生活を瞬時に変えたい」と思ってしまう私のクオリティーは相当、低そうだ。

海の側に住み、魚釣りをし、潜り、夕焼けを眺めながら、ワインを飲み・・・私が余命半年と言われたら、即刻、その日から都会を離れ、田舎で好きな様に暮らすだろう。

でも、これからも重力に逆らわず、もう少し、峠を下ってみよう。幾つになっても人間は変化し続けるし、次々に見た事も無い景色が現れるのを楽しみに。