記事詳細

余命宣告

余命宣告

学生時代から、腐れ縁のように、ずっと付き合っている親友がいる。

彼女が2年前に肺ガン宣告をされ、その時に抗がん剤治療は受けないという決意をした。医師と共に、その場に居た私。

本人曰く、結婚してるわけじゃなく、家族も居ないし、子供も居ないし、好きな事を存分にしてきたし、もういい・・・っと。

そして、今年、4月、医師から「余命1年」と言われた。意外と進行が早い肺ガンだったらしい。彼女は透析を受けており、2週間前にも血を吐いて緊急入院をし、その時に、出血を止める治療をしないと透析をストップすると4日から長くても1週間ですと言われた。

その当日は痛みのあまり、胃カメラさえ拒否していたものの、痛み止めを打ち、翌日、元気になった彼女は内視鏡で出血を止め、何とか無事に透析を続けられるようになるまで回復した。

そして昨日。医師から最終の通達があるとの事で3者面談に行って来た。

肺に存在するガンが治療をしても殆ど確立の低い種類のがん細胞であること。

余命は人によって様々なので何とも言えないこと。只、そんなに長くは無いこと。衰弱してくる事は確か。食欲は落ちてくる。息苦しくなる・・・等など。

そして最後に医師の「家か、病院か?どちらで最期を迎えたいですか?」の質問に「特に希望はありません」と答えた彼女。

彼女は北海道の苫小牧出身だけれど、京都在住の方が期間が長いので、故郷には帰りたくないと言っている。

正直、ショックだった。目の前で友人の最期を何処で迎えるか?なんて私には聞くことさえ重すぎると思った。

「残された期間の一日一日を大切に生きてください」・・・医師は、ガン患者の余命宣告をする時に、必ずルーチンの言葉を言うのだろう。

面談が終わり、病室に戻った彼女と普通の会話をしながらも、私は、これから、彼女に一体、何が出来るのだろうか?何をしてあげるべきなのか?

頑張れなんて死んでも言えない。栄養のあるものを、しっかり食べろも言えない。

自分が逆の立場なら、どうしただろう?恐らく、私も彼女と同じように、治療を拒否しただろうと思う。

命は尊いもの。日々、必死に生きているつもりであっても実は、生かされているという事を忘れがち。

病院の窓から京都市内を一望出来る景色を見乍ら、彼女は何をどう?思っているのだろう?

残された命の期間、私なりに出来る範囲で後悔のないようにしたいと思う。

今日の花は彼女が大好きな桔梗。