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虐待と愛は紙一重完結編

虐待と愛は紙一重完結編

カモめがけて矢を放った人は「ひどいことをする」と非難されている。

きっとストレス解消のためにやったのだろうが、趣味でカモ撃ちをしている人はどうなのだろう。やはりストレス解消のためにやっているのではないか?

私にしてみれば、両方とも同じ事の様に思える。だけど狩猟解禁の時におおっぴらに撃たれるカモは同情されないし、見物人も来ない。

殺され、傷つけられるカモに同情しつつも、私はカモ肉を喜んで食べるし、「矢をネギそっくりに塗り替える」というギャグに大笑いしてしまう。

本当にカモが可哀想だと思っていない証拠である。

私の心の奥底には、もともと「カモなんだから撃たれてもしょうがないんじゃないか」という気持ちがあるように思う。撃たれて死ぬのは当たり前。しかし、あのカモは撃たれても生き続けていた。それがショックだったのだ。

私はただ、自分の奥底にある残酷な本心を押し殺すために「弱い立場のものに対して優しいんだ、優しい人間なんだ」と思い込みたいがために、カモのニュースを見ていたような気がしてならない。

思い起こせば3年前に天国に行った熊五郎にも虐待に近いことをかなりしてきた。眉毛の所に海苔を貼り付けたり、帽子やサングラス、私のパンツまで被らせて面白おかしく写真を撮ったりしていた。

この行為を虐待と呼ぶのなら、犬や猫と暮らしている人は殆どがそうなのではないか?

まさに虐待と愛は紙一重なのかも・・・・・???